正義は一にして成らず。
 警察手帳を開けばまずそれが書いてある。
 高岡(たかおか)が先輩から授かった言葉の中で、唯一にして最も納得できる言葉だ。
 あえて毛筆で書かれたその言葉を見るたび、高岡は先輩の石動(いするぎ)と最初に話した時を思い出す。
『高岡、ドロボウを捕まえたいと思ったらどうする。店にずっと張り込むか? ドロボウらしき奴を見つけて、ずっとつけ回すか? どっちみち一人だけじゃあ無理だ。一日だけでも無理だ。何人もの人間が、何日もかけなきゃあならんぞ。交番勤務も一緒だ。毎日お互いを補い合いながら、ここを守っていくんだ。正義は一にして成らずだぞ』
 この言葉を聞いて、高岡はえらく納得したものだ。
 だが次に石動はこう述べた。
『そういうわけだから、ここは頼んだぞ! ワシはパチンコ行ってくるから!』
 これが、唯一にして最もなどと述べた理由である。
 仰々しく筆ペンなど渡してきて、大事なことだからこれで書けなどと言われて高岡も正直に書いてみたものだが、次のページからはボールペン。次からは鉛筆。その次からは書いたふりをしたと後からでも分かるようなへにゃへにゃ文字が続いている。
 内容も『女は乳でも尻でもなく腰で選べ』とか『新台は熱いうちに打て』とか『泡の立つ麦茶なら呑んでも仕事中にOK』とか、どう考えても役に立たないものばかりだ。
 この先もこんな内容で自分の手帳が埋まっていくと思うと、頭ばかりが重くなる。
 とはいえ。
 最初の言葉だけは、高岡には納得できた。
 妖との大戦争を経験した彼にとって、正義という言葉の意味は大きい。人類を脅かす敵を勇敢に打ち倒す覚者たちの姿に憧れ、自分も正義の味方になるのだとばかりに高校卒業と同時に警察官の道へ飛び込んだのも、無理からぬことである。
 無理からぬが。
 やめておけばよかった。
 1990年代、名実ともに日本を救った覚者は全国的にもてはやされ、テレビや新聞雑誌などのメディアでひろく取り上げられた。結果として彼らは日本の文明社会に溶け込み、覚者を扱った特撮番組や大人向けの覚者モノと呼ばれるドラマは絶えず放送され、注目を集めている。
 その反面、妖に対してまるで歯が立たなかった警察組織の信用は失墜。テレビでは定番だった刑事ドラマはめっきり無くなり、新聞雑誌に載るのは不祥事ばかり。
 そんな時代に生まれた子供たちが警察官など目指すはずもなく、年々採用率は低下し続け、今では人手不足の極地にある。
 そんなわけで、警察組織の下っ端こと交番のお巡りさんには過酷なシフトが課せられている。
 高岡の例をあげればこうだ。日中は二人体勢。妖被害の多い夜間は三人体勢。しかし交番に勤務している警察官は三人しかいない。ということは三日に一回、それも日中に眠ることしか許されていないのだ。そのくせ上から『日中の隔者事件が増加しているので昼のシフトを増やせ』と言われれば、地獄の一週間労働が課せられる。警察官に人権はない。
 すべては正義の実現のため。
 正義は一にして成らず、である。
 が、そんな正義の味方が何をするかと言えば。
「お巡りさん、ねえお巡りさんてば」
「どうしたんですかトメさん」
「お風呂の湯沸かし器が動かなくって」
「ええ? この前業者さん紹介したでしょ」
「直しては貰ったんだけどねえ。でもなんだかよくわからなくて……」
「そうですかあ。じゃあ後で顔出しますから」
「ありがとうねえ。それじゃあね」
「はーい。いってらっしゃーい!」
 近所のおばあさんに手を振り、高岡は手帳に今夜のスケジュールを書いた。
 ちなみに昨日のスケジュールは小学校の通学路を巡回することである。なんでも通学路に不審者が出たから警備してくれと小学校のPTAから言われたらしく、仕方なく巡回をしている。
 他にもエアコンの修理。逃げた犬の捜索。冷蔵庫の運搬。などなど。
 もうお察しのことかとは思うが、高岡たちが妖や隔者に対して何かしたことなどない。
 というか、できないのだ。
 拳銃を上回る武力を持った隔者にお巡りさんは脆弱である。
 だが人間がおこした事件である以上警察官が出て行かなければならず、当然通報もされるので、警察上層部は頭を抱えながら部下に『なんとかしろ』と言い、その部下も頭を抱えて更に下の人間に『なんとかしてくれ』と言い、その下その下と順番に続いていって、最下層である高岡たちにその『なんとか』が押しつけられている現状だ。
 だからといって疲弊しきった国が下っ端のお巡りさんに上等な武装を与えるわけはなく、毎度おなじみニューナンブのリボルバー拳銃を一丁ぶら下げて現場へ駆けつけるハメになる。ちなみに善良な一般市民に発砲すれば厳罰である。
 道路標識を素手でへし折る連中のどこが一般市民か。
 一般と言えば。
 覚者は非覚者のことを『一般人』と呼称することがある。暗に自分たちを非一般人であると主張しているようなものなのだが、国家的には彼らも立派な一般人だ。人権だってある。一週間労働だってさせない。
 だが、そんな高岡たちでも覚者たちを一般人呼ばわりできない時がある。
 それが――。
 ジリリリリ、と時代遅れの黒電話が鳴り響く。
 慌てて受話器をとると、それは通報電話だった。
「~交番です。どうされまし……はい、はい。カクシャ? どちらの……あっ、隔者(リジェクター)ですね。分かりました、直ちに向かいます!」
 隔者犯罪による通報である。
 高岡はその場にいない石動のことを諦めて、現場へと自転車をこぎ出――す前に、黒電話にダイヤルした。壁に貼りつけられた広告の番号だったが、見もせずスムーズに入力。
 受話器を耳に当てる。コール三回で相手が応答した。
 そして、高岡は新人サラリーマンのごとく深々と頭を下げながらこう唱えた。
「毎度お世話になっております高岡です! 今回もよろしくお願いします! はい、隔者事件です! 場所は――」
 必要事項を伝えると、高岡は次に手帳に書かれた番号へぐーるぐる。
「こちら菰原交番、高岡敬介巡査であります。隔者事件が発生したので――」
 今度は警察の上の方にあるんだかないんだかという特殊部隊への連絡だ。
 こうして必要な事前処理を終えた高岡は、颯爽と自転車に飛び乗り、現地へとこぎ出した。

 現場では既にコトが始まっていた。
「スッゾオラー!」
「ッメンナラー!」
 拳銃を乱射するパンチパーマの男たち。
「貴様らの弾丸になど、負けはしない!」
 彼らの放つ拳銃を黄金の盾ではじき飛ばす鎧の金髪美女。
 鎧と言っても胸元くらいしか守っていないような、ほぼ布でできた服である。
 肩と背中には『滑川総合警備保障』の文字とロゴ。ご覧の通りと言っていいのか分からないが、警備会社の人間である。
 そんな連中を遠巻きにではあるが、ヤジウマたちが見物していた。
 現場に遅れて駆けつけた高岡は、自転車から颯爽と飛び降り、鞄から取り出した菓子折りを掴んですぐそばの男へと突きだした。
「どうもお疲れ様です滑川(なめりかわ)さん! 今回もどうぞよろしくおねがいします!」
「あーごくろうごくろう」
 滑川。彼はグレーのスーツを着た五十台そこそこの男である。名札も何もつけていないが、高岡たち脆弱な地方お巡りさんが隔者犯罪を『なんとか』するための切り札だ。
 滑川は菓子折りを受け取ると、高岡の肩をぽんぽんと叩いた。
「いやあ、大変だね高岡くんも。生身でこんな所までやってきて。コンビニ強盗だって?」
「いえいえ滑川さんこそ! 非覚者でありながら現場までいらっしゃるだなんて!」
「お偉いさんの特殊部隊には連絡した?」
「あはい、そういう決まりなんで連絡はしましたけど……いつくるやらこないやら」
「いや来ることは来るでしょう」
「その頃には事件が終わってるでしょうから、ええ、犠牲を出さないためにも今回もどうかひとつ!」
 斜め四十五度のお辞儀姿勢を保つ高岡。
 相手は自分たちの代わりに戦ってくれる覚者団体の社長である。非礼があれば色々な意味で死にかねない。
 するとそこへ、コンビニのビニール袋をぶら下げた石動がやってきた。
「おー、滑川ぁ! 現場に来るなんてめずらしいな!」
「石動か」
 頭上で交わされる会話に、高岡は真顔になった。
 滑川と石動は同級生だ。そのツテでこうして出張ってきてもらっている。逆に言えば、こういったツテでも無い限りお巡りさんに隔者犯罪や妖事件に対抗するすべはない。
 頭上での会話は続く。
「いつもすまんな」
「いいのいいの。うちは隔者倒せても捕まえておけないし」
 警察組織とて馬鹿ではない。五行能力の悪用が多発したことに対して隔者を閉じ込めておける刑務所なるものを完成させた。
 偉い連中はそれを見ていやあこれで隔者犯罪も恐くないですなと高笑いしていたものだが、ニュースを見て高岡が思ったのは『誰がそこまで運ぶんだよ』である。
 AAA(トリプルエー)衰退にあたって編成された特殊部隊だかなんだかが一応あるが、彼らが地方の現場まで駆けつける頃には全てが終わっている。人員も装備も、全国規模の事件には全く足りていないのだ 隔者はバケモンだ。手錠をかけようが引きちぎり、車に詰めようがぶち破り、土に埋めても這い上がってくる。そんな連中を刑務所まで運ぶには、どうやったって気絶させるしかない。そのためには戦って倒さねばならないわけで、そのためにはその場で倒せるだけの武力が必要なわけで、結局覚者の力は必要になるばかりなのだ。
「しかし石動、勤務中にコンビニかい? 昔から変わんないね」
 ちらりと石動の手元を見てみる。
 ビニール袋に透けてエロ雑誌が見えていた。
 下着姿の女の写真と共に『付喪特集! 淫乱プラスドライバー』と書いてある。なんだそれ。
 頭上の会話は続く。
「しかしあの子は見たこと無いな。新人か? 可愛いじゃないか」
「そうだろうそうだろう。実は私の娘でね。今日は初仕事なんだよ」
「本当か! いやあ大きくなったなあ!」
「だろうだろう。お、そろそろ決着がつくぞ」
「おお本当だ」
 そろそろか。高岡がゆっくり顔を上げると。
「くっ、ころせ……!」
 なんか乙女座りした金髪美女がわめいていた。
「負けてるううううううううううううううう!」
「初仕事で初黒星かー」
「まあいい経験だよね!」
「言ってる場合ですか!」
 パンチパーマの隔者たちは美女の決め台詞(だとおもう)を無視してすたこらと逃げる準備にかかる始末。
 高岡は慌てて自転車に飛び乗るが、その肩をがっしりと滑川が掴んだ。
「いや、追わなくて大丈夫だよ」
「なにが大丈夫なんですか! 捕まえないと」
「いやだから……来る前に連絡があったからさ」
 滑川は親指と小指を立てて、電話機のジェスチャーをした。
 同じジェスチャーをする石動。
「ああ、例の?」
「そう例の」
 高岡には何が何だかわからない。
 とにかく追いかけるだけ追いかけねば。
 そう思ったところへ、自転車のベルが鳴り響いた。

 世界は非情である。
 悲鳴の多くは誰にも届かず、悲劇の多くは報われない。
 ゆえに世界に悲しみがあり、不幸がある。
 だがもし。
 もし全ての悲鳴を聞きつけ、すべての悲劇を報いる者がいるとしたら。
 夢見の言葉を背に受けて、全ての悲しみと不幸に立ち向かう者たちがいるとしたら。
 彼らはきっと、やってくる。
「お待たせしました~あああああああああああああああああ!?」
 ママチャリを猛スピードで漕いだ女性が高岡の横を通り過ぎ、そのまま隔者たちへと突っ込んでいく。
 慌ててよけた隔者の間をもすり抜け、女は自転車ごとブロック塀に突っ込んだ。
 顔からいった。
 女はずるずると脱力し、地べたに突っ伏した。
 突っ伏したまま、動かなくなった。
 流れる沈黙。そして涙。
「……え、死んだ?」
「私生きてます!」
 女はがばっと身体を起こすと、びくっとした一同へと振り向いた。
 仕組みはよくわからんがやったら長い前髪で完全に目線が隠れている。前が見えているのか怪しいもんだが、どうやら見えてはいるらしい。っていうか今の衝突でよく乱れなかったもんだ。……形状記憶?
 高岡はその印象から勝手に『前髪ちゃん』と呼ぶことにした。
 前髪ちゃんはよいしょといって立ち上がると、ネコの書かれたカワイイ手帳を天に翳した。
「え~っと、私は『なぞのそしき』から来た覚者です! このまま放っておくと滑川キャシャリンさんが自信を失って引きこもりになる未来が見えたそうなので、助けに参りました! よろしくおねがいします!」
 流れる沈黙。そして時。
 その反応をどう受け取ったのかはわからんが、前髪ちゃんは手帳(たぶん私物だと思う)を懐にしまってパンチパーマの隔者たちへと身構えた。
「さあ、どこからでもかかってきてください!」
「えっ……」
 パンチパーマ隔者たちは顔を見合わせてから、とりあえずとばかりに前髪ちゃんへと発砲した。
 高岡はこのときになって初めて気づいたが、彼らの弾は一般的な銃弾ではなく水の滴を凝縮したものだった。五行の力を使って彼らみずから生み出したものである。
 だからというわけではないが、訓練などまるで受けていない乱暴な撃ち方で放たれた弾が異様な放物線を描き前髪ちゃんの額へと正確に襲いかかった。
 ヤジウマたちの一部が思わず目を覆う。前髪ちゃんの額に大きな穴が空いてしまうさまを想像したからだ。そんなの絶対痛いもん。
 が、しかし。
「えっ、わっ、わっ……ごめんなさい!」
 前髪ちゃんが勢いよくお辞儀するやいなや、前髪が全ての弾丸を跳ね返し、ヘンテコな軌道を描いてパンチパーマ隔者たちの額に突き刺さったのだった。
 流れる沈黙。そして血。
 途端、メモ帳とシャーペンを握った眼鏡の男がヤジウマから身を乗り出した。
「出たー! 前髪さんの前髪シールドやー! 防御力を上げると共に特殊攻撃に対して反射攻撃を行なう前髪シールドを張るんやー!」
「前髪シールドじゃないです!」
 両手をぐーにして振り回す前髪ちゃん。
 眼鏡たちはああ言ったが、彼女のシールドは全身に張られたものである。どこに当てても似たような結果になっただろう。
「でも、いたたたた……ちょっと痛かったです」
 前髪ちゃんはおでこについたバッテンの絆創膏をひっぺがして捨てると、パンチパーマ隔者たちへと駆けだした。
「今度はこっちから行きますからね!」
 腕をぐるぐる回すと、どういう理屈かわからんがパンチパーマ一号の顎にクリーンヒット。ロケット花火よろしく垂直発射されていった。
「兄貴がたった一瞬で、ッベー! マジッベーよ!」
 早くも不利を悟ったパンチパーマ二号は仲間を見捨てて回れ右。絶好のスタートダッシュをきった……はずだったが。
「にがしません!」
 前髪ちゃんが地面を拳で殴った途端、彼の足下から円錐状のコンクリートが拳と同じくらいの速さで隆起した。
「「オオウ!!」」
「うわあああごめんなさいごめんなさい!」
 股を押さえて震え上がる滑川、石動、そして高岡。
 そんなつもりはなかったんですごめんなさいと言いながら高速で頭を下げまくる前髪ちゃん。
 一方でパンチパーマ二号は尻を突き上げた姿勢で突っ伏し、白目を剥いて気絶していた。
 遅れてずどんと落下してくるもうひとりのパンチパーマ一号。彼は地面に頭を突っ込んだまま気絶していた。
 石動がそっと寄っていき、彼らの胸に手を当てる。
「死亡確認!」
「いや死んでない、死んでないよ」
 滑川はパンチパーマ一号二号を抱え持つと、道路の端っこに転がした。
「それじゃあ、後は頼んでいいかな」
「まかされよう。じゃあワシ輸送車呼ぶから、ここよろしく」
 近くの電話ボックスへと入っていく石動。
 残された高岡は、とりあえず前髪ちゃんに挨拶することにした。
「いやあその、お疲れ様です。どうもありがとうございました」
「いえいえそんな滅相も無いです!」
 両手をばたばたさせて謙遜する前髪ちゃん。
 高岡は暫く思案してから、もしものために用意しておいた第二の菓子折りを差し出した。
「これはつまらないものですが」
「いえいえそんな滅相も無いです!」
 全く同じリアクションで両手をばたばたする前髪ちゃん。
 顔をあげてぽかんとする高岡に、困り顔で言った。
「お礼とか、そういうのはいらないんです」
「いらないって……」
「えっとその、お仕事頑張ってくださいね! それじゃあ!」
 前髪ちゃんはそうそうに会話を切り上げると、壁クラッシュの犠牲になったママチャリに跨がってそそくさと走っていってしまった。
 遠のく背中を眺める高岡の肩を、滑川がぽむんと叩く。
「不思議だろう? 事件が起きることをなぜか知っていて、どこからともなく現われるんだ。そしてお礼も要求せずに帰って行く」
「警備会社の方では、ないんですか」
「どうなんだろうねえ。僕も知らないんだけど……聞いたところだとファイヴっていう名前の組織らしいよ。名前以外は知らないんだ」
 電話ボックスから出てきた石動がバナナ食いながら横に並ぶ。
「ワシらは手柄を貰えて正直嬉しいが、あの子らは一体何のためにこんなことをしてるんだろうなあ」
「さあ……」
 首を傾げる滑川と石動。
 だが、高岡にはその答えが分かるような気がしていた。
 『お仕事頑張ってください』と言って去って行った彼女にあったもの。
 それはおそらく、正義だ。
「滑川さん。さっきの名前、なんて書くんですか」
 手帳を開き高岡は筆ペンを取り出した。
「ああ、それはね……」
 高岡の手帳に、数年ぶりに毛筆のメモ書きがはしった。
 『ファイヴ』、と。


第弐話:隔者(リジェクター)

※世界観ノベルにはFiVEメンバーと思しきキャラクターが登場いたします。
ノベル上でのみの特別演出としてお楽しみ下さい。