世界は非情である。
 悲鳴の多くは誰にも届かず、悲劇の多くは報われない。
 ゆえに世界に悲しみがあり、不幸がある。
 だがもし。
 もし全ての悲鳴を聞きつけ、すべての悲劇を報いる者がいるとしたら。
 夢見の言葉を背に受けて、全ての悲しみと不幸に立ち向かう者たちがいるとしたら。
 彼らはきっと、やってくる。
 ――だがしかし。
「貧弱貧弱!」
 銀髪少年の目がケダモノの光を帯び、腕をケダモノの毛皮が覆っていく。
 握りしめられた拳が空圧を生み、ミサイルのような速度で茶髪少年の胸へと叩き込まれた。
 スマイルマークのシャツが引き裂かれ、破門状に広がった衝撃が少年の意識を強制的に喪失させる。
 拳を振り抜いた時には既に、少年に一切の自由は無くなっていた。
 国道に乗り捨てられた無数の乗用車を吹き飛ばしながら幾度となくバウンドし、ビルをまるまる一つ突き破って海へと落下する。
 ヒュウと息を吐く銀髪少年。
 彼の背後にウサギ耳の人影が飛びかかる。リボンのついたシルクハットから耳が突きだし、顔にはマスクを被った怪盗風の獣憑である。
「隙ありぴょん☆」
 ウサギ怪盗は紫電をカード状に整形したものを指に挟み、少年の後頭部めがけて投擲。
 直撃か――と確信した彼女を裏切って、少年はありえない速度で反転。口でカードをくわえ、ばきりと噛み砕いた。
「そっちがぴょん☆」
 ケダモノのような牙を備えた凶悪な歯を見せ、ギラリと笑う銀髪少年。
 少年の回し蹴りが繰り出されようとした瞬間、ウサギ怪盗の腰に縄型の鞭が巻き付いた。
 釣り上げられた魚のように引っ張り戻されるウサギ怪盗。
 空振る少年の回し蹴り。
 が、蹴りによって発生した余波が周囲のアスファルトを歪ませ、二メートル近い隆起を引き起こした。
 空中でバランスを崩して転がるウサギ怪盗と入れ替わるように、ボンテージ姿の女翼人が少年へと突っ込んだ。
 吹き上がった大量の小石を腕一振りで掴み取り、銃弾のごとき速度で放つ少年。
 ボンテージの女は退くこと無く加速。迫り来る小石をきりもみ飛行をかけて回避すると、避けきれない分を鞭で打ち払った。
 が、その直後。女の眼前五センチの位置に少年の顔があった。
「お姉さんはっやーい!」
 顔面を鷲づかみにされ、女は強制的に隣の大型トラックに叩き付けられた。
 コンテナの壁を突き破り、積み込まれていた大量の荷物ともう一枚の壁を突き破って近隣の市役所の正面玄関へと突っ込んでいく。
「でも、おっそーい!」
 ケラケラと笑う少年。
 そんな彼の頭上に小さな雷雲が発生。次々と発生するスパークを、少年はタップダンスをしながら完璧に回避した。
 ぱちんと指をならすと、指弾によって放たれた石が市役所の屋上フェンスの上から彼を狙っていた忍者に直撃。忍者といっても十歳程度の幼い幼子である。額に直撃した石がそのままこめかみをえぐっていく。
 よろりと転落した忍者に背を向け、少年は国道の中央線に立った。
 猛スピードで突っ込んでくるトラックを片手で受け止めて強制停止させると、運転席でハンドルを握っていた男にウィンクした。
 途端大爆発を起こすトラック。
 爆発を背に、両手両足を機動戦士化した少年が飛び出してきた。
 右腕の機械がうなりをあげ、機動少年の拳が銀髪少年の心臓部に直撃。
 瞬間、腕と一体化したバンカーバスターが発動。銀色の金属杭が少年の心臓を突き破った。
「どうだ!」
「ば、ばかな……おれが、にんげんごときに……」
 口から赤いものを吐き出して目を剥く銀髪少年。
「と、みせかけて!」
 杭を打ち込んだ腕を掴み、そのままずぶずぶと自分の胸に沈み込ませる少年。肩まで沈み込んだ所で、少年は彼の額に頭突きを繰り出した。
 血を吐いて目を剥いたのは機動少年のほうである。
 銀髪少年は手にしていたケチャップを放り投げ、くるりと後ろを向いた。
 胸には向こう側が見えそうなくらい穴が空いていたが、少年は苦しさすら見せない。むしろ楽しそうだ。
 そんな様子を左右非対称な目つきでにらむ女子大生。今時はやりのゆるふわコーデのくせに、手に持っているのは人殺し専用のレイピアとナイフである。吐いていたパンプスを脱ぎ捨てて蹴っ飛ばし、どこからともなく取り出した鉄仮面をはめる。
「で、君は来るの?」
「やってやるです」
 躊躇無しの突撃。少年の眼球を狙った剣は正確に彼の右目を貫き、後頭部から貫通。
 更にナイフを首に押し当て、まるでお手紙の封でも切るかのように頸動脈を切断。そのまま力と勢いを乗せ、首を切断した。
 膝から崩れ落ちる少年。
 血まみれのワンピースをはためかせた仮面女子大生……の剣の先で、少年の首が喋った。
「ねえねえ、これノーカンでいい?」
 言うや否や、仮面女子大生の足首を首の無い少年が掴み強制転倒。むっくりと起き上がると、足首を持ったまま何度も何度も地面に叩き付けた。
 転がった自分の頭部をサッカーでいうヒールリフトで放り上げると、器用に首でキャッチする。
 喉を叩いてしわがれ声をだした。
「あ゛ーあ゛ー、んっんっん……あー、テステス。オーケーオーケー。やっぱ首が無いと息が苦しいよねえ」
 気持ちよさそうに深呼吸すると、首の切断面はおろか胸の穴さえ元通りにふさがっていた。
 充分な戦闘力のある覚者がよってたかって攻撃したにもかかわらず、かすり傷ひとつ残っていない。
 彼こそが……。
「人狼マスグラバイト。大妖のひとりか」
 物陰から一部始終を見ていた雑誌記者の男がぽつりと呟いた。
 黒部(くろべ)というベテランの記者である。
 彼の存在に最初から気づいていたかのように振り向くと、銀髪少年……いや、人狼マスグラバイトはギラリと笑った。
「たっのしっいなー! 抵抗する人たちをボッコボコにするのはたっのしっいなーっと!」
 マスグラバイトはンーッと言いながら背伸びして、炎と煙とがれきだらけの国道を歩き始めた。
「散々苦労してやーっと表舞台に出てこれたんだから、ちょっとは楽しまないとねー。それじゃ、ルール通りに死んでね☆」

 新聞記者の黒部が現場に居合わせたことにはちゃんとした理由がある。
 それを知るべく、国道314号線が盛大に破壊されたこの事件から約一週間前へ遡ろう。
「カルアミルクー!」
「ウーロンハーイ!」
「はいよろこんでー!」
 大衆居酒屋『赤木屋』の一席で、二人のしみったれた男が空のグラスを振り上げた。
「お待たせしゃっしたー!」
「「はいカンパーイ!」」
 すごい速さで持ってきた二杯の酒をひっつかみ、二人はがつんと乾杯する。
 でもって中身を一気飲みすると、ゲラゲラ笑いながらテーブルに叩き付ける。
 赤ら顔の男、石動が向かいの相手を指さした。
「今日も飛ばしてるねークロベちゃん!」
「お前もな! イスルギィ!」
 相手の顔をびしりと指さすクロベちゃんこと黒部。
 二人は何がおかしいのかひとしきりゲラゲラ笑い転げたあと、急にテンションを下げて机にばたんと突っ伏した。
「……ふう、すっきりしたぜ」
「そいつは何よりだ」
 真顔でむくりと顔を上げると、再び店員を呼んでビールを注文した。
 黒部はゲラゲラ笑っている間は愉快なおっさんだが、ひとたび黙るとただの汚いおっさんになってしまう。
 何十年着古したか分からない緑のジャケットにオシャレじゃない方のダメージが入ったジーパン。おまけに髪は年中ぼさぼさだ。
 坊主頭と太眉毛の石動と組み合わせることで汚いおっさんコンボデッキのできあがりである。
 ンなことはさておき。
「黒部、最近ネタのほうはどうだ」
「どうだといわれてもなあ」
 黒部はぼりぼりと頭をかいた。
 彼の仕事は雑誌記者である。芸能人の卑猥な噂話や大企業の低俗な悪評などを書いてはそこそこ売れる五行現代という雑誌の記事を書いていて、彼の担当はもっぱら妖関係だ。
 一時期は紅蜘蛛事件に密着しその裏側を暴き出したことでエースジャーナリストとなったが、それ以降はめっきり特ダネから遠のいている。
「デカい妖事件はヨルナキ以降起きてねえ。小さい方も、Aマニのせいで事件らしい事件も起きねえからなあ」
 妖遭遇時の対処マニュアル。業界用語で『Aマニ』。妖への対応方法を明文化して日本全国で共有する目的でAAAが発行したものである。
 数十年前から『熊が出るので、出くわしたらこう対処しましょう』などと小学校で教えていたのと同じパターンだ。今ではそれこそ熊狩りくらいのテンションで妖の人里侵入を減少させている。
 それでもたまに死者が出てしまうところもまた、熊と似ている。
「今時その辺に妖が出たくらいじゃ誰も驚かん。根も葉もない噂話をでっち上げるのが精一杯だぜ」
 運ばれてきたビールをちびちびやりながら、黒部はため息をついた。
 一方石動は、同じように運ばれてきたビールを口につけず、渋い顔で黙っている。
「なんだ、どうした」
「いや、ちょっとな」
「言えよ」
「でも、ちょっとなあ」
「言えって」
「しかしなあ」
「言えコノヤロウ!」
 黒部はテーブルを乗り越えると、石動にヘッドロックをかけた。
 思わず腕をぱしぱしと叩く石動。
「わかった言う! 言う言う!」
「よし言え! なんだ!」
 周囲の客が振り向くくらいに大声を出していたが、石動はつとめた小声で言った。
「……大妖が出るかもしれん」
「なんだと?」
 石動を下ろし、黒部は素早く懐から手帳を取り出した。
 彼の目にはギラリとした光が宿っている。
 一方の石動も、表情を硬く険しくさせた。
 ハイテンションでカクテルを一気飲みしていたおっさんも、静かにしみったれたおっさんも、そこにはいない。
 二人のモノノフがそこにはあった。
「入善財閥を知ってるか?」
「ふむ……Aショック以降各地で力をつけてる財閥か。本元は不動産会社だったな?」
 Aショックとはお察しの通り、妖の事件が全国の報道にのって認知されたことであらゆる物の見方が変わった歴史的変動のことである。これも一応専門用語だ。
 同時期に覚者が認知され、工業分野にしろスポーツ分野にしろ様々な変化がもたらされたわけだが、最も大きく動いたのは不動産業界だと言われている。
 なにしろ妖が出やすい土地とそうでない土地がAマニによって周知され、土地売買へダイレクトに影響したからだ。
 そんな中、入善財閥はまるでどの土地がどのように価格変動するかを最初から知っていたかのように巧みなのし上がりを見せ、今ではビル建設からファーストフードまで様々な分野に進出して日本各地に根を広げている。まさにゆりかごから墓場までの大企業集合体だ。
「その入善がどうした」
「そこの系列会社が立山連峰周辺から一斉に撤退しとる。規模にして町一つ分だ。ワシはあそこで派手な妖事件が起こると踏んでるんだが……」
「ほう……」
 入善財閥の成長には別の噂がある。彼らは妖事件の発生を予測できるのではないかというものだ。
 オープンしたばかりの店舗を急に畳んで撤退したり、次々と買い進めていた株を売り払ったりした時、そこでは高確率で妖事件が起きているのだ。
 それが町一つ分の土地から全面撤退するとなると、予想されるのは町消滅クラスの妖事件だ。
「『ヨルナキの狩り』を連想させるな」
 第三次妖討伐抗争の主犯格、大妖ヨルナキ。奴が動けば町が一つ無くなるとまで言われているバケモノだ。
 が、黒部は首を振る。
「もしそうなら店舗を撤退させる必要はないぞ。一時的に休業して土地を離れていればいいだけだ。実際そういう風に回避したこともある」
「ありゃあ謎の回避力だったなあ」
 うんうんと頷く石動。
「つまり、今度の妖事件は町が物理的にぶっ壊されるくらいの被害が出るってことか……」
「あくまで『可能性がある』ってだけだ。いくら覚者や妖が便利な力を使えるからって未来のことまでは分からんだろ」
「どうだかねえ。そういうヤツがいるのかもしれんぞ」
 黒部の調べてきた事件の中には、未来を予知したとしたか思えないようなタイミングで動く連中との出会いもあった。確証があるわけではないが、この世にはそういった未来予知が可能な人間がごく僅かにいるのではないか……と、黒部はにらんでいる。
「とにかく、現地に行く価値は、あるな」
 黒部は手帳を閉じた。
 ……それから黒部は現場周辺をかけずり回った。
 周辺で起きた些細なことがらを聞いていくのだ。着目点は『事件と言うほどでも無い困ったこと』だ。水道の出が悪いとか、妖ハンターの夫ががイライラしているとか、そういった一見どうでもよさそうなことをかき集め、中心に浮き上がってくる『不自然さ』を見いだすのだ。
 そうこうしてから数日。
「海外にはインターネットでぽちぽちやって取材した気になるアホがいるが、んなものはアテにならん。日本のインターネットなんて嘘だらけのアンダーグラウンドだからな。結局足で稼ぐしか無いのさ。何日も何日もかけてな」
 黒部は電話ボックスの中で自慢げに語っていた。電話の相手は石動だ。
『そんなこたぁどうでもいい。で、どうなんだ。妖のしっぽはつかんだのか?』
「簡単に言うな。だが……気になる情報が出てきた」
 受話器を肩と首で挟みつつ手帳を広げる黒部。
「この辺の連中が『見慣れない子供』を目撃してる。銀髪の、よく笑う少年だそうだ」
『引っ越してきたばかりのガキじゃあないのか』
「そういう話はないな。ここ最近、出て行った奴はいても入ってきた奴はいない。目撃したポイントを絞ってる所だ。そっちは?」
『からっきしだ。警察はまるで動いとらん』
「事件が起きてない以上動けんのが警察だからな。どのみち最近の警察はアテにならんよ」
『ワシにそれを言うか』
「実際アテにならんだろうか。まあ、もう暫くこの辺を探ってみるよ」
 がちゃんと受話器を置き、女優の描かれたテレホンカードを抜き取る。女優と言ってもセクシー女優だ。金髪に赤青のオッドアイという奇抜なフォルムから食いつくマニアも多い。とはいえ黒部はファンというわけでもなく、テレカも雑誌記者という立場から生まれたあれやこれやの因果で貰った代物だ。こういうものを躊躇無く使うところに彼のずさんさが見え隠れしていた。
「さて、探ると言ってもこれからどうするかね。とりあえず例の少年を追いかけるところから……」
 電話ボックスからは出ずにぱらぱらと手帳をめくっていく。
 すると、ボックスの外からノックをする者があった。
 電話を使おうとする奴の邪魔をしてしまったかと振り向くと、そこには。
「おじさん、ちょっと道を聞きたいんだけどさ」
 銀髪の少年が笑顔で立っていた。

 少年は不思議な雰囲気を纏っていた。
 浮き世離れしているというか、他人との距離感が奇妙というか、とにかく接していて妙な間がちょくちょく生まれるのだ。
 黒部は野良犬が急に懐いてきたような、変な気分に見舞われた。
 だというのに、今は少年と一緒になって国道沿いを歩いている。
「市役所の場所くらい分かるだろうに。なぜ俺に案内させるんだ」
「だってそういうルールなんだもん」
 両手を頭の後ろで組んで歩く少年。
「なんだそりゃあ。新しい遊びか何かか?」
「そんなとこー」
「他にも変なルールがあるのか?」
「んっとねえ」
 少年は手を目の前に翳し、指折りしながら唱えた。
「一人で移動してはいけない。全ての質問に嘘をついてはいけない。名前を聞かれた人間を10分以上生かしてはいけない。この三つだけだよ」
「……」
 黒部はどん引きした。
 テレビゲームを縛りプレイする奴は沢山いるし、道路の白い部分しか歩いてはいけないとかいうルールを課している子供も沢山いる。しかし『生かしてはいけない』とはどういう用件だ。
 先程のルールが確かなら、質問すれば応えそうなものだが……黒部にはそればはばかられた。
 なぜなら、少年がギラリとした目で笑ったからだ。
 獣のような歯。獣のような目。その程度なら覚者だらけのこの社会で珍しくもなんともないが、どうもこの少年からは嫌な何かを感じるのだ。
 なので、別の所から責めてみた。
「そのルールは、誰が考えたんだ?」
「僕」
「……そうか」
 黒部は更にどん引きした。
 それ、一人遊びかよ。
 寂しすぎるだろ。
「ほらついたぞ。ここが市役所だ」
「わーい! サンキューおじさん!」
 少年は無邪気にバンザイした。
 そして、両手をあげたままくるりと振り向く。
「もう一つ教えてあげる。僕さ、この社会に出ちゃいけない身分なんだよね。封印されてるの。だけど儀式魔術によって封印を解くことで、一日だけ遊んでいいって決まりなんだよ?」
「お前のゲーム、異様に設定が暗いな」
「そう言わないでよ、マジでやってるんだからさー」
 それに、と少年は呟いた。
「目的地にはちゃーんと到着できたから」
 ぞくりと黒部の背筋が凍った。
 もっと深く考えておくべきだったのだ。
 彼から放たれている雰囲気が人間のそれではない理由に。
 その雰囲気が、『高い知能をもった高位の妖』に近いということに。
「この土地で五芒星を描くように移動して、最後に名前を唱える。それでゲームクリア。それからはずっとボーナスタイム! んーっ、苦労したー!」
「お前……」
「満を持して聞いてよおじさん。僕の名前はマスグラバイト。人狼の大妖だよん」
 少年の腕が獣のように変化し、黒部へと迫る。
 と同時に、背後から別の少年の声がした。
「伏せろおっさーん!」
 咄嗟に伏せて転がる。
 後ろから走ってきたのは茶髪の少年だった。後ろ髪を縛った喧嘩っ早そうな子供で、胸にスマイルマークのついたシャツを着ている。
 茶髪少年はどこからともなく取り出したぼろい白布を拳に巻き付けると、手の中から精霊顕現の光を漏らした。拳を固め、振りかぶる。
「くらえっ、マスグラバイトォ!」
 少年の放った拳が、銀髪の彼……マスグラバイトの顔面へと直撃した。
 そうして、冒頭にもどる。

 炎と煙とがれきのなかで、黒部は絶望していた。
 どこからともなく現われた覚者たちは力尽き、もう自分を助ける者はない。
 少年、マスグラバイトの鼻歌と足音が、そのまま彼の死を弔う音楽になっていた。
 俯き、目を覆う黒部。
「く、くそ……こんな、こんな特ダネ掴んだのに、死ぬのか!? 俺は!?」
「死なねえ!」
 聞き覚えのある声がした。
 黒部は顔を上げ、マスグラバイトは振り返る。
 それはまさに、あの茶髪少年が全身びしょ濡れにして突っ走ってくる所だった。
「死なせねえし、殺させねえよ!」
 足に白布を巻き付け強烈なドロップキックを繰り出す。
 マスグラバイトはそれを素早くかわし、茶髪少年は腰から落ちた。
「え、なにきみ、死んだんじゃなかったの?」
「死んだように見えたか? 俺たちは、そう簡単に倒れてやれねえぜ!」
 覚者は一度倒れただけでは終わらない。
 生命力を削り、再び立ち向かうことができるのだ。
 人それを、『命数削り』と呼ぶ。
 それが、覚者が恐ろしき妖たちに対抗できる最大の理由と言っても過言では無い。
「そ、それがなに!?」
 マスグラバイトは気圧された様子で一歩だけ後じさりした。
「何度立ち上がったって僕から見たら雑魚同然なんだよ! 無駄なんだよ!」
「いいや、無駄なんかじゃないぴょん」
 がれきを押しのけ、ウサギ怪盗が立ち上がる。
「立ち上がるたびに強くなって、強くなって、強くなって、雑魚同然から雑魚以上になるぴょん」
 天空を指さすウサギ怪盗。
 生まれた小さな雷雲が、徐々に大きくなっていく。
 いつの間にかマスグラバイトの背後に回り込んでいた忍者が同じ雷雲を呼び、膨らませていたからだ。
「踏みつぶされ、た、雑魚たちが……じんわり、じんわり、這い上がる」
 雷雲はどんどん膨らんでいき、マスグラバイトの頭上をすっぽりと覆った。
 先程の茶髪少年や今まさにむっくりと起き上がった血まみれの仮面女子大生の力も加わっているからだ。
「そのうち大妖ですら飲み込んで、雑魚同然に踏みつぶしてやるですよ」
 雷雲から逃れようとしたマスグラバイトの腕に、ぐるぐると鞭が巻き付く。
 ボンテージの女が上空から彼を見下ろしていた。
 立ち上がった機動少年がマスグラバイトに組み付き、動きを一時的に封じた。
「二十数年のニューフェイスがオイタしちゃって。人間の歴史が何年あると思ってるの?」
「そーだ、人類をなめるんじゃねえ!」
 四倍の雷がマスグラバイトを襲う。
 マスグラバイトの着ていた服が焼け焦げ、はらはらと落ちていく。
「あ、ぐあ!?」
 そしてマスグラバイトは、むくむくと身体を肥大化させていった。
 腕はケダモノのそれになり、足はケダモノのそれになり、頭はケダモノのそれ、肩は、胸は、全身がケダモノと化していく。
 その姿はまさに人狼、そのものである。
「調子に、乗るなよ!」
 機動少年を振り払い、むき出しの爪で斬りかかる。
 装甲のついた腕が火花を散らし、無残に砕けて散る。痛覚神経による痛みに顔をしかめる機動少年。
 そんな彼の首を掴み、マスグラバイトは乱暴に放り投げた。
 空中でキャッチするボンテージの女。
 と同時に、忍者とウサギ怪盗、そして茶髪少年が三方向から同時に跳び蹴りを繰り出した。
 マスグラバイトに直撃。
 目を血走らせたマスグラバイトがウサギ怪盗に食らいつこうとするが、その顎を仮面女子大生のナイフが食い止めた。
 今にも噛み砕きそうな威力でがちがちと牙を鳴らし、マスグラバイトが唸る。
「調子にのるなよ。調子にのるなよクズ人間! お前らなんて、僕にかかればすぐに――」
「その『すぐ』って、何分です?」
「え?」
 はっとしてマスグラバイトは後じさりした。
 慌てて黒部のほうを振り向く。
「十分経過。時間切れ。ざまーねーです」
「おまえ、なんでそれを……」
 マスグラバイトが青白い光の渦に包まれていく。
 血が出るほどに歯を食いしばって叫ぶ。
「お前ら未来が見えるのか? いや違う、そういう能力者がいるんだな、人間にも! くそ! くそ! もうちょっと、だったのにィ……!」
 光の渦はマスグラバイトを完全に包み込み、そして小さく小さく凝縮し……最後には数センチ程度の宝石に変わって地面に落ちた。
 あの恐ろしき大妖マスグラバイトを封印したのか!?
 いいや見よ。宝石が地に落ちる寸前、内に籠もっていた禍々しい光だけが外へと脱出し、彼方の空へと飛び去ったではないか。
「封印がちゃんと機能してないぴょん。これじゃあ一から調べ直しぴょん」
「また、戦うことになりそうだな」
 空の宝石だけを拾い上げ、彼女たちは光の去った空を見上げた。

 暫くしてから。
 黒部はパソコンで書いた自分の原稿を読み直していた。
 記されているのは、大妖マスグラバイトの存在とその恐ろしさについてである。
「もしあそこで彼らが駆けつけていなければ、奴は町へ解き放たれ、破壊と暴力の限りを尽くしただろう。警察の特殊部隊ですら太刀打ちできない大災害となり、あの町がまるごと消えていたかもしれない」
 マウスを操作して文章を進めていく。
「今回のことでよくわかった。恐ろしき大妖たちは、我々の日常のすぐ裏側にずっと潜んでいるのだ。それはふとした拍子に吹き出し、日常の全てを破壊してしまうだろう。だが実際にそうなっていないのは、『彼ら』が密かに日常を守っているからかもしれない」
 マウスを止めて、キーボードに触れる。
「『彼ら』とは」
 そこから先は白紙である。
 黒部は煙草をくわえ、ゆっくりと煙を吸って、ゆっくりと吐いた。
「そういえば、誰なんだ……あいつら」


第陸話:大妖(ダイヨウ)

※世界観ノベルにはFiVEメンバーと思しきキャラクターが登場いたします。
ノベル上でのみの特別演出としてお楽しみ下さい。