朝日の涼しい台所でおにぎりを握るのです。
 手のひらが熱くて、けれど肩に触れる風はつめたくて、窓から見える空は青白くて。なんだか頭はぼうっとしますが、手をぎゅっぎゅとしていくうちに、次第に目は覚めていくものです。
 ほら、六つほど握り終えた頃には目もぱっちりしてきます。
 最後に握ったおにぎりを囓ってみます。お塩は少なめにしたのですが、手に付いた分が舌に触れてちょっとしょっぱい気持ちです。けれどすぐにお米のふくよかさといいますか、甘みと言いますか、独特のおいしさが伝わってきます。私の土地はお米が美味しい土地なのです。
 お米と言えば新潟というイメージがありますが、こっちもこっちで負けていません。同じ山からお水が流れているのだから基本は一緒ですし、こっちは湾も近くて天然温泉も多い豊かな土地ですから……ええと、そう、とにかく水と風の豊かさは自慢なのです。
 とはいえ全部食べるわけではありませんよ。お米は好きですが、おにぎり六つは女子中学生のごはんとしては多すぎます。これでも乙女なのです。
 なので、一個ぺろっと食べ終えた所でタッパーに詰めて、鞄に入れるのです。中学校で使っている肩掛け鞄です。とても頑丈なので、重宝しています。
 小学生の頃から思っていましたけれど、ランドセルといいこの鞄といい、なぜ子供に頑丈で地味な鞄を与えようとするんでしょう。たしかに男子は乱暴に使いますけれど、私なんかは土汚れ一つつけません。制服同様、もっと可愛い鞄をくれてもいい筈なのですが。いかがでしょう?
 ……いえ、分かっております。私の地元は田舎です。関東みたいにはいきません。
 関東の学校はすごいのですよ。教室の窓が円かったり、制服が赤かったりするそうです。そのうえ、校内にカフェラウンジがあるそうです!
 見たことはありません。ものの本で読んだのです。行こうと思えば行けるのでしょうが。
 行く必要が無いのです。
 この土地はこの土地で好きなのです。
 水と風が、自慢なのです。
「行ってくるね、おばあちゃん」
 家を出る前に仏間をのぞくと、早起きのおばあちゃんが仏壇に手を合わせていました。
 別に仏教徒というわけではないのですが、都会では珍しいことだそうですね。お家に仏壇があるだけで引かれるとか。
 ……はい、それも本で読みました。私は目で見たことが少なすぎます。
 ちょっと落ち込みそうになりますが、こんなことで落ち込んでいてはきりがありません。
 おばあちゃんにご挨拶して、出かけるのです。
 学校にですか?
 いいえ。
 カッパさんの所にです。

 ああっ、そんなに驚かないでください。
 カッパさんというのはその、カッパさんです。ええ、ご想像の通りの。
 頭にお皿があって、身体が緑色で、川から出て来ます。
 これもおかしなことなのでしょうか。私にとっては普通のことなので、特に不思議に思いませんでした。
 最初にカッパさんを知ったのは、十一歳の四月でした。小学五年生に上がった日です。
 田舎の小学校ですから人数こそ少ないまでも、始業式というものはあります。けれどこの土地で生まれた娘は、十一歳になったらカッパさんに捧げられるというしきたりがあるのです。
 え、生贄ですか? そんなふうに見えます?
 ですよね。私が今生きているワケがないですし。
 ……ちょっと、今エッチなことを考えませんでしたか? ちがいますからね。カッパさんはそういう人じゃありません!
 えーっと、その、順を追って説明しますね。
 十一歳の四月一日のことから話しましょうか。
 その日、私は綺麗な着物をきせられて、かんざしや口紅で飾られて、大きな木箱の中に入れられました。
 無理矢理じゃあないですよ。座布団もありましたし、水筒とお弁当も持たせてくれましたし。
 それで村の男の人たちに担がれて、大きな川のほとりまで連れて行かれました。
 箱の中から外が見えないので、どんな道をどう通ったかは後から知りました。険しい道だったので、箱の中は随分揺れました。
 けれど揺れはやがて収まりました。箱がどこかに置かれたのだと気づきました。
 それから暫く、箱が開けられるのを待っていたのですが……不思議なことに全く開く様子がありませんでした。
 不思議に思って自分で開けてみたんですが……。
 あ、ごめんなさい。思い出したらなんだかおかしくって。
 あのですね、箱を開けたらそこが小学校の教室だったんです。
 私が通っていた学校とは違う作りで、普通の学校と言いますか……窓も円くありませんし、木造でもありません。天井からは垂れ幕が二つ下がっていて、『おいでませロリ』『歓迎、泊マリちゃん』と書いてありました。
 そうです、私の名前です。
 ……ちがいます。私の名前はロリじゃありません、マリです。
 そもそもロリとはどういう意味なんでしょう?
 さておき。
 垂れ幕の間で腕を組んで、カッパさんは立っていました。
 びっくりしましたよ。
 田舎ですからクマやタヌキもよく見かけましたし、虫も多いので慣れています。魚が沢山とれる土地なのでそういうものにも慣れていましたが、さすがにカッパさんは見たことがありませんでしたから。
 でも恐くはなかったと言いますか……怖がる要素が無かったと言いますか……。
 その、カッパさんはクラッカーを両手で鳴らして、四つつなげた机の上にワンホールのケーキを用意して出迎えたんです。
 ええ、お誕生日会で慣らすようなクラッカーです。ケーキもイチゴののったやつで、ろうそくこそ立っていませんでしたが雰囲気はお誕生日会そのものでした。
「マリちゃん、小学五年生に進級おめでとな! でもっていらっしゃい。歓迎するでえ!」
 カッパさんはそう言いました。はい、日本語です。喋ります。関西弁、っていうんですか? 私のまわりでは聞かないなまりでしたが、あんまりに流ちょうに喋るので中に誰か入っているのかと思いました。こう、背中にファスナーがついていて、開けるとおじさんが入っているのかと。
 ですから、驚いたのは最初だけで……。
 その後どうしたか、ですか? 私が覚えている限りでは、ケーキを食べたりテレビゲームで遊んだりしました。あの、知ってますか? ハンドル型のコントローラーで遊ぶやつです。私あれ、実は得意で、カッパさんに十連勝したら泣いて悔しがっていました。
「くっそくっそ! なんでやマリちゃんカート鬼ウマやないかい! ワシ今日のために地獄の特訓したんやで! せやのんいなんで周回遅れやねん!」
 カッパさんの腕ですか? その……えっと、すごく弱かったです。壁とかにぼこぼこぶつかってましたし。なぜかテレビゲーム全般のことを『ピコピコ』って呼んでましたし。だから、たぶん、私にあわせてくれていたんだと思います。
 いい例えかは分かりませんが、都会に住んでいる子供が田舎のおじいちゃんの家に行ったときの雰囲気といいましょうか。
 私はその日をまるまる遊んで過ごしました。
 それからです。私がカッパさんの所に通うようになったのは。

 あ、しきたりのこと、気になりますか? やっぱり。
 私も気になって聞いたことがあります。
「あんな、昔ここが小さい集落だった頃な、『小五ロリは悟りに通ず』って言ったらみんな勘違いしてもうてな、女の子が生まれたら必ず小五でワシんところに捧げるようになったんや。百年くらい前のことやったかなあ。ワシも嫌じゃないから断わるに断われんようなって」
 そう言っていました。正確に聞いたことはありませんが、カッパさんって百歳は超えているんだそうです。教科書で知った話ですと、妖(アヤカシ)が出たのは25年前からですよね?
「やめーや、ワシは妖ちゃうよ? 古妖(コヨウ)と妖は全然ちゃうんよ? なんやろ、二次ロリと三次ロリくらいの違いやろか……」
 え? いえ、私に聞かれましても。どちらも知りませんし。
 とにかく、カッパさんはずっと昔からこの土地に住んでいて、山や海に災いが起きないように守っていたんだそうです。これはおばあちゃんから聞きました。だからかは分かりませんが、私の土地は津波や土砂の被害がとても少なくて、大きな地震なんかもあまり起きないんです。台風もなぜかこの土地だけ避けていくんですよ。地形のせいだと言われていますけど、私はカッパさんが何かしているんだって信じてます。おばあちゃんも信じてます。
 ええ、おばあちゃんも昔は私みたいにカッパさんに会っているからです。この町の女の人はみんなカッパさんが好きですよ。毎週のように通うのは私だけでしたけど。
 それで、今は山や川の妖が町に来ないようにしてくれているんだそうです。これは信じていいはずですよ。本当なら私の住んでいるような田舎は妖の被害が多いものなんですけど、民家のあるあたりでは妖を滅多に見ないですし。
「山と川の妖はゆーこと聞いてくれるんやけどな。最近は海の妖が活発化しとってあんまり聞いてくれないんよ。だからマリちゃんは、あんまり海に近づいたらあかんよ?」
 小さい頃はそれが当然だと思っていたんですが、これってすごいことなんですよね?
 どうやって妖を遠ざけているのか聞いたことはあるんですけど、カッパさんは教えてくれませんでした。
「あんな? 知識ゆうもんは、知るべき時が来るまで知ったらあかんモンなんよ。知識を得すぎると自分にも周りの人にも大きすぎる不幸がおこるんよ」
 とのことでした。
 どういう意味かって、私にも分かりません。とにかく、カッパさんは何でも知っているけど、何も言わないってことです。
 そのぶん、私が知るべきことはちゃんと教えてくれました。
 学校の先生よりも色んなことを知っているので、私はカッパさんを先生にして色んなことを学んだと思います。
 勉強は勿論、絵本なんかも沢山読んでくれましたよ。
 一番印象に残っているのは……そうですね、人魚姫でしょうか。
「四方浦に美しい人魚はんがおりました。人と遊び、魚と遊び、毎日を幸せに暮らしておりました。食べ物が少ないときには魚をわけて、魚が弱った時には人の助けを借りました。しかしあるとき漁師たちが魚をもっと沢山欲しいと言い出しました。お金が必要になったので、全部の魚を取り尽くすほどの漁をする必要があったのです。人魚はんはそれを拒んで、漁師さんとの争いになりました。やがてそれはお国の偉いさんに知れ、四百と五十二丁もの鉄砲で倒されてしまいました。強い力を持っていた人魚はんも進化した人間の文明には叶わなかったのです。それから人魚はんはお国の見世物になり、お金に換えられてしまいました……」
 えっ! ち、ちがうんですか!?
 ごめんなさい。人魚姫って、そういうお話だとばかり。
 カッパさん、私に嘘を教えたんでしょうか。あまりそういうことはしない人なんですが……、ちょっと悔しいです。
 例えに出した話が悪かったようです。
 えっとですね、カッパさんは学校では教えてくれない大事なことを沢山教えてくれました。
 たとえば守護使役のことです。
 私にはモルモルっていう守護使役さんがいるんですが、おやつを盗み食いするので喧嘩になったことがあるんです。
「マリちゃん、守護使役を拒絶してはいかんよ。それはおぬしの精神の一部なんや。マリちゃんの中にある人格が宿っておるんよ」
 でも私が知る限りでは、守護使役と口も聞かない人がいますし、見たことも出したこともないっていう人もいました。けれどカッパさんは……。
「クールに守護使役を無視しとるモンもおる。しかし心の中ではちゃんとつながっとるんや。だからいつでも覚醒できるし、ちゃんと役に立ってくれるんやで。黙っていてもつながるオトナの関係や。そういう子らは、心の中だけで認め合って人知れず絆を深めとるんやで。ツンデレなんやで」
 いえ、ツンデレの意味は知りません。たまにカッパさんが使う言葉で……え、よくある言葉なんですか? そうですか。
「己の望む望まざるに関わらず、守護使役との絆は深まっていくんや。そして深まった絆はより強力な五行力(ぢから)となるんやで」
 だから守護使役とは時々でもいいから向き合っておきなさいと。
 と、こんな感じです。
 なので私は中学三年生になりましたけど、今でもカッパさんの所に通っているのです。
「カッパさん、来たよ!」
「へいらっしゃい! 今日のご飯はお寿司やで!」
 差し入れがご飯系で被りました。
 不覚です。

 少女マリの視点を離れ、カッパの住む池のほとりを俯瞰しよう。
 立山連峰をのぞむ大きな池で、古くは山荘のあった場所である。
 が、今ここには一個の大型コンテナハウスがあるのみで、随分と綺麗なものだった。
 その、コンテナハウス内。
 机を二つくっつけて、マリとカッパがそれぞれの作ってきたおにぎりとお寿司を交換しつつ食べていた。
 コンテナハウスの中は小学校教室を模したような作りをしている。ここがカッパの住処だと……マリは思っている。
「マリちゃん、ちゃんとラーニングは取得できとる?」
「できたよ、使い方が分からなかったけど」
「ええねんええねん。今教えたるから」
 おにぎりを食べ終え、ぱたぱたと手を払うカッパ。
 白いチョークで黒板に『ラーニング』と書き付けた。
「マリちゃんたち五行能力者にはオリジナルスキルがあるやろ」
「それを、他の人から写し取るの?」
「ちゃうねん。オリジナルスキルはあくまでそいつオリジナルのもんや。誰も写したりでけへん。パクって似たようなスキルを使うこともあるんやけど、その場合ラニる必要あらへんしな」
「だったら……」
「ワシやで!」
 自分を親指でしめすカッパ。
 ほとばしる効果線。
「ワシら人外の技を獲得するのがラーニングスキルや。強力な妖や古妖の技を解析して、五行力で再現するちゅうわけや。勿論一度解析すればみんなで使えるで。今日はワシの技をマリちゃんが解析して、町のみんなで使えるようにしてみよな」
「で、できるかな」
「物は試しやで」
 カッパは教室……ではなく、コンテナハウスの扉を開けて河川敷へと出た。
 砂利と草地が広がる広いエリアで、その日は藁と棒で作った居合い用の的が数本立っていた。
 『構えろ』の合図を出すカッパ。
 マリは守護使役のモルモルに手招きして、自分の杖を取り出した。
「ええか? 今からワシが開発した『カッパカッター』を見せるから、後に続いてみせるんやで」
「えっと……」
「キイイイイイエエエエエエエエエエエエエエエ!」
 がに股になるカッパ。
 両目と口を限界まで開くカッパ。
 広げた両手を頭上でクルクル回し、ぱちんと頭の皿を両手で叩く。
 そして両目がぎょろんと白目を剥いた。
「カッパカッター!」
 合わせた両手でダブルチョップのフォームをとると、現われた水礫が円形ののこぎりとなって射出される。水ののこぎりは途中で分裂し、周囲の藁を次々と貫通。
 一秒置いてから、藁は斜めにずれ、上部分だけがどっさりと地面に落ちた。
 最後の姿勢のまま振り返るカッパ。
「こうやで」
「えっ……」
 マリは本能的に半歩下がった。
「う、動きも?」
「動きはやらんでええ」
「そっか……」
 胸をなで下ろすマリ。
 危うく乙女を辞職させられるところだった。
 が、真面目で素直なマリちゃんである。
 カッパの動きや力の流れをよーく観察していた……のだが。
「ごめんなさいカッパさん。やっぱり分からなかったみたい」
「そらそうや。一回や二回で解析できるもんとちゃう。よーく見て、覚えるんやで」
 それから先は語るべくもなし。
 河原でひたすら奇行にはしるカッパをマリがじっと見つめ続けるという、世にもシュールな絵面が夕方まで続いた。

 西の空がオレンジに染まる頃、マリは家路を歩いていた。
 遠くから言い争う声がする。祖母と若い男の声だ。このまま帰ってはまずいと思って物陰へと回り込み、家の様子をうかがった。
「泊(とまり)さん、そろそろ売っちゃいましょうよ、家もだいぶボロくなってるでしょ?」
「あんたらには関係ないよ。帰りな!」
「粘るのもいいけど、これ以上あんたのもらいが増えることはないよ」
 金のネックレスをした男が紙の束を祖母へ突きだしている。
 それが数百万の札束だと言うことに、目のいいマリはすぐに気づいた。
 またあの人たちだ。マリの表情が曇る。
 数ヶ月前から、この土地を買い取ろうとする連中が町の人たちに誘いをかけているという話をマリは小耳に挟んでいた。
 聡明な彼女のことである。このご時世にもかかわらず妖被害が異常なまでに少ないこの土地を転売しようとしているのだとすぐに分かった。
 と同時に、彼らがカッパさんの存在に気づいていないことにも察しが付く。もし気づいているならカッパさんを直接引き抜こうとするだろうからだ。
 そもそも、カッパさんの存在を認識し、信仰しているのはこの町のそれもごく一部の人間だけだ。カッパさんが言うところの『集落だった頃の場所』が、カッパさんへの信仰心を受け継いでいる。
 それ以外の人たちには川沿いに住む変人くらいに思われている筈だ。カッパさんにはそんな認識魔術がかかっている。
 それがこちらの余裕になっているのだが……。
 だがなぜだろう。
 男たちの態度が、今日はいつもと違う。
「金なんていらんよ! あんたらにくれてやる土地は無いって言ってるんだ!」
 怒鳴り散らす祖母に、男たちは妙に余裕のある笑みを浮かべ。
 数百万の札束を祖母に向けて投げつけた。
 手で顔を庇う祖母。
 舞い散る紙幣。
 ひらひらと落ちていく紙幣に目もくれず、男は鼻で笑った。
「優しく追い出してやろうとしてんのに、どうなっても知らねえぞババア」
「な、なんだい、力尽くでくるってのかい」
「『力尽く』のほうがだいぶマシだろうな」
 きびすを返し、立ち去る男。
 男は物陰に隠れていたマリをめざとく発見したが、特に興味も示さずに去って行った。
「おばあちゃん!」
 慌てて駆け寄ると、祖母は大量の紙幣の中心で立ちすくんでいた。
「だ、大丈夫?」
「ああ……この紙切れを片付けておいてくれるかい。奴らが来たら叩き返してやるんだ」
「う、うん」
 祖母の足は震えている。自分より力の強い人間に威圧され、すくんでしまったのだ。
 表面上は気丈に振る舞ってはいるが、マリには分かる。
 それに引き替えあの男たちはなんだ。あまりに余裕過ぎる。
 なにか恐ろしいものを控えているのではないか。
 マリにはそんな予感がしていた。
 その予感は、一夜のうちに判明することになる。
 最悪の形で。

 深夜。虫とカエルと風の音しかしないはずの寝室にけたたましい爆音が響き渡り、マリは布団から飛び起きた。
 ヘリコプターの飛行音だ。田舎育ちのマリなど聞いたことが無いほどの大きさだ。
 それにまぶしい。一瞬朝かと勘違いするほどに窓が明るいのだ。
 カーテンを開けてみると、上空から無数の人影が投光器と共に降下してくるさまが見えた。相当な高度だがパラシュートやワイヤーは見えない。
 よく観察してみれば、危険高度で各が翼を広げていた。五行能力者、それも翼人だけで構成された部隊だとでも?
 人数はおよそ小隊規模。よほどの偶然に愛されていない限りここまで偏った編成がありえるだろうか?
 いや、大規模な五行組織なら可能だ。
 しかしなぜ?
 夕方の男たちを思い出す。地上げ目的でわざわざ小隊規模の戦力を投入するとは思えない。五行能力とて覚醒状態になれば消耗するのだ。残弾無限の兵器ではないのだ。使いかたは派手すぎる。
「もしかして」
「マリ! 避難して、早く!」
 日本刀を持った祖母が部屋の扉をはねあけるが、マリは既に窓の縁に足をかけていた。
 モルモルから杖を取り出して握り込むと、祖母へと振り返った。
「先に行ってて」
 そうとだけ言って窓から飛ぶ。空中で落下エネルギーを制御。裸足のまま土面に着地すると、ノンストップで走り出した。
 かとおもえば、小銃を装備した翼人たちが地上を照らしながら横切っていくたび、建物の壁にはりついて動きを止める。しかし着実にある方向へと進んでいた。
「この人たちの狙いは、カッパさんなんだ」
 古妖の一種であるカッパさんは人間に対して友好的だ。
 しかしそれは『人類に対して』という仕切り方では無い。隣家と地球の裏側を同列に語れないように、カッパさんにはカッパさんなりの有効範囲が存在する。自分たち以外には徹底的に存在を隠蔽しているのだ。
 理由は分からない。彼の知識か、技術か、もしくは所有している何かか。いずれにせよ、嗅ぎ付けた彼らをカッパさんの所へ向かわせてはならない。
 止めなくては。
「いたぞ、『防人(さきもり)』だ!」
 家屋の隙間から飛び出した途端、マリに複数の銃口が向く。訓練された兵隊なのだろう。その時には既に発砲されていた。
 しまった。
 杖を翳して水気のフィールドを発生。飛来した銃弾を数発だけ停止させる。が、残りの数十発が直撃した。
「あ゛あっ……!」
 バランスを崩して草むらを転がる。兵隊の一人が翼を鋭く整え、コンバットナイフを抜いて突撃してくる。とどめを刺すつもりだ。
 すると、草むらの中から何人もの男女が飛び出した。
 普段魚屋や八百屋、クリーニング屋などを経営している人間たちである。が、彼らの持ち物は包丁でもアイロンでもない。草むらに紛れるように偽装された重機関銃である。
「マリちゃん、下がってろ!」
 機関銃の射撃がおこり、翼人を蜂の巣に変える。
 皺の深い老婆が六連リボルバー式のグレネードランチャーを振り上げ、後続の兵隊たちに三発ほど連射した。いつもは個人経営のカフェを運営している皺ババアだが、成人男性が苦労して持ち運ぶような兵器をまるで水鉄砲のように扱っている。
「ジャネグザレガァ!」
 常人にはまるで聞き取れないが、この土地の古い言葉で最上位の殺意を表わす言葉である。
 言葉通りに、放たれた爆弾が激しく破裂。と同時に強酸があたり一面にばらまかれた。なまじ翼を広げていた兵隊たちなどひとたまりもない。たちまち墜落し、地面を転げ回った。
 そこへマリの祖母が猛スピードで突っ込み、兵隊たちを次々と切り捨てていく。
 草むらを十秒足らずで血と消炎だらけにして、祖母は振り向いた。
「勝手に一人で行くんじゃ無いよ。カッパさんのところだろう?」
「……うん、ごめん」
 意外なことかもしれないが、この村の中で五行能力を獲得しているのはマリ一人だけだ。魚屋もクリーニング屋もカフェのババアも非覚者。当然祖母も非覚者である。
 ごくまれな話ではあるが、覚者を充分に葬れるほどに鍛え上げた非覚者というものが存在する。
 いわゆる『達人』だ。
 もうそうなってくれば『一般人』などという呼称はできないが、ややこしいことにこんな彼女たちも一般人にカテゴライズされていた。
 刀を血振りする祖母。
「他の道は七弦たちがカバーしてる。ここはアタシらで死守するよ。いいね?」
「んっ」
 口を引き結んで頷くマリ。
 そこへ。
 じゃらじゃら、と。金物の音がした。
「呪縛せよ、呪縛せよ、呪いあれかしや」
 最初に見えたのは、鈴のついた人形と火である。
 藁でできた40センチ大のもので、手足の先端に釘が刺さっている。
 そんな人形を首からさげた女が、暗闇を割くように現われた。
 白衣。いや、ここは白装束と言うべきだろうか。和洋折衷おり混ぜたような白服の女である。神を後ろに縛り、蝋燭を冠のように頭に数本そなえている。知的な銀縁の眼鏡をかけていて、それだけが彼女の印象を浮き立たせていた。
「あら、あらあらあらまあ」
 手を口元に翳す。
「防人の一族がまだこんなに残っていたなんて、河童も物持ちのよいこと。感心しますわ」
 ぺこりと頭を下げる女。
「お初にお目にかかりますわね。わたくし、妖ハンターの石橋と申します。以後お見知りおきを」
 古来。頭を下げることは自らの首を捧げる行為とされていた。そのならわしに沿ったわけではあるまいに、祖母は風のように駆けて女の首を切断し――たと思った時には、相手の姿は無かった。
 石橋と名乗った女は祖母の背後に立っていた。
 祖母の首に深々と刺さった釘。
 血を吹いて倒れる祖母。
「と、泊サン!」
 魚屋の男が目を剥いた。彼女はカッパの古武術を幼い頃から叩き込まれた達人である。いかな五行能力者とてそう簡単には倒せない。
 が、石橋はごくつまらなそうに手の中で無数の釘をじゃらじゃらと鳴らした。
「あらあらまあまあ。一般人(ザコ)の割によく動きますのねえ」
「てめぇ!」
「ジャラゼエ!」
 一斉に襲いかかろうとする魚屋と皺ババアたち……だが、彼らが重火器を持ち上げた時には既に、彼らの中心に石橋がいた。
 どこからともなく取り出した巨大な木槌を、その場でぐるんと振り回す。
 爆発でおもおこったかのように吹き飛ばされる男たち。
 レベルが違いすぎる。鍛え上げた結果覚者を超えた非覚者がいるように、石橋もまた高い練度でもって彼らの戦力を上回っているのだ。
「おばあちゃん、みんな……んあ!」
 抵抗する暇もなく、マリの首が掴み上げられた。
 水礫を生み出して乱射するが、まるで効いている様子が無い。
 巨大な象を素手で叩きくかのような手応えだ。
「防人の覚者ですか。興味深いですわね。持ち帰って飼ってもよろしいかしら?」
 小首を傾げる石橋。
 もがく力すらも失っていくマリ。
 マリの意識が途絶えようとした、その寸前に。
「喝破環通絶(カッパカッター)!」
 水でできた丸ノコギリが石橋の手首を切断した。
 切断面を押さえて飛び退く石橋。意識を失って横たわるマリ。
 その間を分かつように、一匹の異形物体が着地した。
 妖? 否。
 人知れず、古来より日本に根を張っていた人外種族。
 古妖・河童――御厨ヶ池大権現(ミクリガイケダイゴンゲン)である。
 カッパはゆっくりと手を翳し、手首を押さえて歯噛みする石橋の顔を指さした。
「イエスロリータノータッチ。この世の常識やで橋姫ェ」
「妖風情が、偉そうな口を利きますのね……」
「妖ちゃうわボケ! いっしょにすんなボケカスゥ!」
 カッパのドロップキックが炸裂。
 んぎゃあと言って蹴倒される石橋。
 カッパは流れるように無事な方の腕を足ではさんで腕ひしぎをかけた。
「なんやオマエ! 入善ボウズの頼みやからって妖退治を手伝ってやっとんのにボウズが死んだ途端ワシに絡んでくるとかどんな恩知らずやねん!」
「あ、妖ごときに、に、人間が……!」
「妖ちゃうゆうとるやろがい!」
 りきむカッパ。
 悶絶する石橋。
「いたたたイタイイタイ手首、手首とれちゃう!」
「もう取れとるがな!」
「あー、あー、ちょっといいかな石橋ちゃんにカッパちゃん」
 ガチリと金属レバーを操作する音がして、カッパははたと振り向いた。
 その時カッパの目に映った最初のものは、地面に腰を下ろす一人の男である。
 紫のスーツを着た男である。
「お、オマエ獅子口……いつのまに」
 唖然とするカッパに獅子口……いや、呉羽は左右非対称の笑みを浮かべた。
 人懐っこい表情に見えて、目だけが絶対的に笑っていない。
 そして彼の手にはまがまがしいデザインのリボルバー拳銃が握られていた。
 銃口はぴったり、マリの側頭部に押しつけられている。
「いいじゃない、そんなのは。それより石橋ちゃんを離してやってよぉ。でないとさ、殺すしかなくなっちゃうじゃん……この子」
「お、オマエ」
「可哀想でしょ。後から掃除する人がさ」
 ポケットから取り出した煙草を咥え、指先から出した小さな炎で着火する。
 そして、口の端から煙を吐いた。
「この銃知ってる? 真タケミカヅチっていって、伝説の神具職人が作ったの。まあ、設計図だけパクって部下に作らせたパチモンだけどね。いやー、大変だったんだよ? 三重スパイを泳がせて設計図だけ盗みとってね?」
 新しいオモチャを買った子供のように言う呉羽に、カッパの表情が固まった。
 こういう手合いは利害と関係なく『新しいオモチャを試したい』と考えることがある。
 脅す目的を忘れてマリに銃の威力を試しかねない。
 石橋を解放すると、その場で手を上げて降伏の姿勢を見せた。
「……要求はなんや」
「おっ、いいねえその潔さ。男らしいじゃないの」
 石橋が手首を修復させるのを待ってから、呉羽は例の笑顔で言った。
「旧入善邸にあった古神具。あれかすめ取ったの、河童ちゃんでしょ? 俺にそれ、頂戴よ」
「そうすれば防人とそこの娘の命は助けてあげますわ」
「……」
 ここぞとばかりに乗ってきた石橋の口調には、河童の命は助けないという要求が籠もっていた。
 石橋はいわゆる『人類主義者』だ。妖は当然のこと、すべての古妖も地球上から抹殺ないしは隔離したいと考えている。
 一方で呉羽は五行能力者だろうが何だろうが金に換える闇商人だ。古神具など格好の商材になるだろう。なんならカッパをパーツごとに分解して『世にも珍しきカッパのミイラでござい』と言って売り払うかもしれない。
 利害の一致。なるほど、彼らの『同盟』は崩れた分けか。
 ぱたんと両手両足を地面に投げ出し、カッパは目を閉じた。
「好きにせえや。けど、マリちゃんたちに酷いことしたら許さんで」
「あらいやだ。わたくしたちが約束を破ったことがあったかしら」
 なんて皮肉。今まさに破ったところではないか。
 釘をカッパの額に翳す石橋。
「いつの世も……人の業が世界を殺すんやなあ、四方浦姫」

 世界は非情である。
 悲鳴の多くは誰にも届かず、悲劇の多くは報われない。
 ゆえに世界に悲しみがあり、不幸がある。
 だがもし。
 もし全ての悲鳴を聞きつけ、すべての悲劇を報いる者がいるとしたら。
 夢見の言葉を背に受けて、全ての悲しみと不幸に立ち向かう者たちがいるとしたら。
 彼らはきっと、やってくる。
「それでも人を信じたんだよね、カッパさん」
 全てを知った顔をして、前触れもなく突然現われるのだ。
 最初に見えたのは紙人形だった。
 陰陽術に用いるような人形代が、夜の空を飛んでいた。
 渡り鳥のようにV字の編隊飛行を組み、石橋の頭上を通過する。
 通過の際に腕を模した部分から紙包みを手放し、次々に落下させていった。
「――!?」
 本能的に危機を察した石橋が身を反転させ、首に下がった藁人形を投擲。
 藁人形は空中で激しいスパークをおこし粉々に四散する。
 紙人形は螺旋飛行でカーブを描き、持ち主の所へと集結する。
 持ち主は……彼女は、古いかんざしを指揮棒のように翳して、閉じていた眼をあけた。
 金色の目である。
 彼女の後ろに集まった無数の紙人形が綺麗に整列した。
「助けに来たよ。ずっとずっと、昔から」
 マリと同年代の少女だ。女子中学生そのものといった制服をきて、お下げ髪を二つに分けている。
 外見的な特徴で呼ぶならば、単に『おさげ少女』だ。
 だがそんな彼女から放たれる力の波に、石橋は身構えた。大きな木槌を手ににらみ付ける。
 仰向けのままおさげ少女を見るカッパ。
「姫……? ちゃうか、あんたは確か……」
「防人がまだ残っていたようですわね。それも強力なのが」
 凄まじい速度で接近し、木槌を叩き込む石橋。
 おさげ少女はかんざしを突き出して木槌を受け止めた。物理的におかしい動作だが、物理現象を往々にして超越するのが五行能力である。
「だめだよ、仲良くしなくちゃ!」
 おさげ少女はぴょんと小さくジャンプすると、カッパと同じように揃えた両足で石橋の顔面を蹴りつけた。だが蹴り飛ばすためではない。むしろおさげ少女がそこから離脱するためだ。
 空中にふわりと飛び上がったおさげ少女。彼女がかんざしを振ると、空中の紙人形たちが次々に石橋へと突撃。自らを五行力の暗雲へと換え、サンダーボルトビームを連射した。
 振り払おうとする石橋だが、前後左右から時間差で攻撃をしけてくる紙人形に翻弄されるばかりであった。
「こんな小娘に、わたくしが……!」
 たちまち無数の電撃を受け、石橋は黒煙を吐きながら気絶した。
 かんざしを呉羽へ向けるおさげ少女。
「今、あたしの仲間が他の兵隊をやっつけてるよ。だからその子、マリちゃんを離して。殺しはしないから」
「あ、そう……そりゃあ助かるね。他に要求は?」
 呉羽は状況を察し、両手を挙げて後じさりする。
「カッパさんをいじめないで」
「破ったら、どうなんのかね」
「……」
 沈黙が最大の回答である。
 呉羽は例の笑顔で小刻みに頷くと、わざと背中を向けてその場から逃げ出した。
 この場で簡単に背中を見せるということは、それ自体が物理的ないしは政治的な罠になっていることがある。不用意に深追いしてはいけない。
 おさげ少女はふうと息をつき、まばたきをした。目の色が黒に戻る。これが本来の色なのだ。おまけに目尻がとろんと下がり、全身からテンションというものが抜けていく。
「カッパさん、怪我はなぁい?」
「おかげさんで。もう少しで博物館に飾られるところやったわ」
 けらけらと笑うカッパ。
 そんな彼の顔を、おさげ少女はじっと見つめていた。
「……なんやねん」
「ううん」
 首を振る。二つのおさげがゆるゆると後を追った。
「あのねぇ、えっとぉ……」
 暫く言葉を選んだようなそぶりをみせて、おさげ少女は言った。
「『人間はまだあなたを信じているよ?』」
「…………」
 ゆっくりと、目を見開くカッパ。
「だから、仲良くできるかなぁ」
「どう、やろか……」
 カッパは言いにくそうに頭をかいた。
「古妖にも色んなモンがおる。お嬢ちゃんも学校とかで、隣のクラスの人全員と仲良くでけへんやろ? おんなじや」
「妖は、どうかなぁ」
 言いにくいどころではない顔で、カッパは言葉に詰まった。
 今度はカッパが言葉を選ぶ番だ。
「現代の妖は古代の妖怪や怪異とはちゃうモンや。それに、妖には人類を滅ぼそうって本能がある。せやから仲良くなんて……」
「でも、それでも」
 おさげ少女は笑って言った。
「いつかきっと、仲良く出来るよねぇ」

 おさげ少女はそれ以上何も言わずに現場を撤収しようとしていた。
 ショッピングセンターでの妖襲撃事件。
 隔者による軽犯罪の多発現象。
 地下闘技場での破綻者発生。
 大量の武器密造と真タケミカヅチの再製造。
 憤怒者による工場破壊。
 大妖マスグラバイドの開封。
 富士ノ折立遺跡と旧入善屋敷の発掘。
 入善財閥本家襲撃事件。
 浜猿組の暴走と湾岸抗争。
 そしてカッパを巡る防人集落襲撃事件。
 この土地で起きたいくつもの事件の裏で動いていた『彼ら』。
「F.i.V.E」
 カッパは去りゆく背中を見つめ。
「オマエさんらなら止められるかもしれん」
 誰にも聞こえず、呟いた。
「来たるべき災厄、四万浦竜神姫」


第拾話:古妖(コヨウ)

※世界観ノベルにはFiVEメンバーと思しきキャラクターが登場いたします。
ノベル上でのみの特別演出としてお楽しみ下さい。